晩ごはんを食べに、おばあの家へと歩いたわずか数分で、全身から汗が噴き出してきた。空は曇っているものの、相変わらず気温は高く、湿気がねっとりとまとわりついてきた。
冷房嫌いのおばあも、さすがに今日は電源を入れている……はず。たのむから、そうであってくれ! ほとんど祈るような気持ちで、居間の戸を開けると、蛍光灯の明るい光とともに涼しい空気が流れ出てきた。居間に足を踏み入れると、Tシャツにぐっしょり染みていた汗がまたたく間に乾いていていく。
冷房の風が当たる壁際で、両手を広げて目をつむり、しばらく涼んでいると
「そんなとこで何してんねん!」
と叫ぶおばあの声がした。つづけて、
「早よ台所に行って、お前も自分でラーメンつくってこい」
という。
この暑い日に、ラーメンだって!? そうめんとかざるそばならわかるけど、どうして……。冷房がついていても、設定温度を28度より下げることをおばあは許してくれないし、暑がりですでに夏バテ気味の僕は、熱々のラーメンをすする気にはとてもなれない。冷たい麺類なら入りそうなのに……。
「そうめんとちがう――」
いいかけると、
「ええから、さっさとつくってこい!」
と大声でさえぎられた。
しぶしぶ台所に向かうと、流し台に乗っていたのは――
“極意”と書かれたシブい箱。これがおばあのいっていたラーメンなのか。中を見ると、
袋入りの乾麺とスープが何組か入っていた。見たことがない種類のインスタントラーメンだ。今はちょうどお盆だから、おじいの仏前に供えるために、生前に親交があった知り合いが持ってきてくれたのだろう。
“濃厚魚介醤油味”というのはおいしそうだけど、この暑い時期にラーメンというのは……いや、ちがう! スープの袋をよく見ると、これは――
つけ麺だ! これなら暑くてもつるっといけるし、スープは好みの魚介醤油。がぜん食欲がわいてきた。お前が今晩、食べたかったのはこれやろ! とおばあの誇らしげな声が聞こえてくるようだ。具材もちゃんと――
千切りのにんじん、きゅうり、錦糸たまごにかいわれという、冷たい麺にぴったりなものを用意してくれている。こういうのが食べたかったんだよ、おばあ! と感謝しつつ、
ノンフライの乾麺を、コンロの上に用意してあった鍋に入れて、
2分半茹でる。パッケージには3分と書いてあるけど、僕は固めが好きなので短めにする。おばあは箸で持つと千切れるほど柔らかい麺が好きで、僕が何度いっても固めが好きだということを信じられないらしい。
だからおばあが麺を茹でると、どれも離乳食並みに柔らかくしてしまう。そこで麺類のときは僕が自分で茹でることになっているのだ。
茹で上がった固めの麺は、流水で冷やし、
丼ぶりに盛りつける。麺は細めで、触るとつるつるとしていて、噛み応えも喉越しもよさそうだ。小袋の中身をお湯でのばしてスープをつくると、魚介醤油の香りが立ち上る。これでおいしくないわけがない! 期待は高まるばかりだ。
麺やスープの入った容器を持って、居間に戻ろうとすると――
流し台の端に置いてある、ごはん茶碗が目にとまった。おばあは麺類をおかずととらえているふしがある。つけ麺と一緒にごはんを食べるように用意していたのだ。だけど今晩の麺はけっこう量があるし、夏バテ気味で運動不足の僕は、ごはんまで食べられそうもない。
茶碗は見なかったことにして、居間に戻り――
テーブルに麺の入った丼ぶりを置くと、
「その上に乗せるもんも、つくってるんやで」
とおばあがいう。
「乗せるって、にんじんとかきゅうりのこと?」
「いや、そうやない。鍋に入っとるから、そこに乗せてきいや」
そういっておばあは――
丼ぶりの中を指さした。台所に戻ると、コンロの上にはたしかに、
中に何かが入っている、底の深いフライパンがあった。ガラスのフタを取ると――
豚肉やもやし、しめじ、ピーマンを炊いたものが入っていた。醤油と砂糖の甘辛い香りが立ちのぼってくる。これなら魚介醤油スープのつけ麺に合いそうだ。早速、麺にどっさりトッピングして、またテーブルに戻る。
メニュー
・冷やしつけ麺(彩食工房「極意」濃厚 魚介醤油味)
トッピング:豚肉、もやし、しめじ、ピーマン
具材:カイワレ、錦糸たまご、ニンジン、キュウリの千切り
・高野豆腐
・もずく酢
・タコとワカメとキュウリの酢の物
・サラダ
生:トマト、玉ねぎとパプリカの醤油漬け、キャベツ
茹で:ブロッコリー、アスパラガス
何だかものすごく豪勢なメニューができあがった。
つけ麺には、豚肉たっぷりのスタミナがつきそうなトッピングが乗っているし、
冷やし中華のような色とりどりの具材もある。それを麺と一緒に、
とろみのある濃厚なスープにつけてすする。すると魚介醤油の香りが鼻に抜け、噛めば固めの細麺の食感が心地いい。さっぱりとした冷やし中華の具材はどれもスープに調和しているし、甘辛い味付けのトッピングは、麺と一緒にスープにつけてもつけなくても違った味わいが楽しめる。
おかずは他にもあって、もずく酢や、
高野豆腐、
酢の物も、どれも冷たくてさっぱりとしていて食べやすい。はじめは食欲がなかったはずなのに、もう箸が止まらない。僕は夢中で食べ続け、気がつくとーー
皿の中身をすっかり平らげていた。これだけ食べたらお腹は……あれ、まだ入るぞ。もうちょっと食べたい……。そういえば台所にはまだ、あれが残っていた! 僕はまた台所に向かいーー
流し台に置いてあった茶碗に、ごはんを軽くよそって戻ってきた。そのごはんの上にかけるのは、
余ったつけ麺のスープ! それをさっとかき込むと……うまい! 醤油ベースのうま味の強い濃厚な味わいがごはんにぴったりだ。
もしかしておばあは、僕がここまですることを見越していたのか!? どの料理もおいしかったし、食欲もすっかり元に戻っているし、感謝せずにはいられない。
ありがとう、おばあ! と感謝を伝えるために向かいの席に目をやると、おばあがいない。台所から物音がするので、行ってみると――
おばあは流し台に向かって、棒の付いた抹茶色のアイスクリームを食べていた。その背中に向かって、
「今日のごはん、おいしかったで」
と伝えると、
「そら、そうやろ」
と当然のことのようにいった。だけど内心ではうれしかったらしく
「お前も、アイス食べや」
と食後のデザートまですすめてきた。もちろん僕は迷うことなく、冷凍庫を開けた。