節分の日には、おばあがつくった恵方巻が食べたい。たまご焼きやかんぴょう、カマボコを巻いた、見た目はいたって普通の太巻きだけど、お酢の加減や、酢飯と具材のバランスが絶妙で、一気に2本も平らげるほどおいしかった。山のようにつくっても、僕とおばあで2日かけて食べ切った。コンビニやスーパーみたいに、余らせて廃棄するなんて考えられない。
ところが去年の節分の日、おばあは恵方巻を近所のスーパーで買ってきたのだった。味は悪くないけど、1本あればじゅうぶんだった。今年もどうせ、買ってきたやつだろう、そう思いながら晩ごはんを食べに行くと、テーブルの上にあったのは――
メニュー
・恵方巻き?
・イワシの焼いたん
・ほうれん草のおひたし
・千枚漬け
・サラダ
生:トマト、玉ねぎの醤油漬け、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
やっぱり、買ってきたやつだ。おばあがつくれば、もっと具材の割合が多いし、一本丸ごと食卓に並ぶ。ところが目の前のものはごはんが多めで、ひと口大に切り分けられている。
買ってくるのは予想していた通りだし、味も悪くないはずだ。だけど実際に目の当たりにすると残念……というより、寂しさがこみ上げてくる。
おばあはもう、恵方巻をつくることができなくなってしまったのかもしれない。
ほとんど弱音を吐かなかった勝気なおばあが、最近になって、これまでできていたことができなくなってきたとこぼすようになった。
去年の節分の日に食卓に並んでいた、手づくりのアサリとたまごのすまし汁は姿を消し、今年は――
市販の茶碗蒸しに変わった。
「今年はすまし汁ないんやな?」
「去年は、そんなのつくったか?」
おばあは意外な様子で聞き返す。これまでおばあは巻きずしをつくったときには、すまし汁か味噌汁は欠かさず用意していた。
こうして少しずつ、おばあの料理のレパートリーが消えていくのか……。そう思うとお腹の底がきゅっと締め付けられるような寂しい気持ちになる。
するとおばあは、
「すまし汁はなくても、茶碗蒸しやらイワシの焼いたんやら、いろいろあるやろ」
僕の心を見透かしたようなことをいった。
たしかにおばあのいう通りだ。
イワシはちょっと焼きすぎているけど、こうばしい香りは食欲をそそるし、
ほうれん草のおひたしや、千枚漬けもある。
サラダには去年なかった、玉ねぎの醤油漬けがプラスされている。
これだけのメニューを、おばあは一度に用意してくれている。まだまだ寂しがることなんてない。おばあの料理を食べられる幸せを堪能しよう。
そしておばあと一緒に料理を味わいながら――
節分にはもう一つ必須アイテムがあったことを思い出した。豆だ。
一昨年はピーナッツがあったけど、去年おばあは用意していなかった。今年も買ってきていないはず。だけど豆に似たものが冷蔵庫に入っている。
食事を終えて、
「豆はないよな?」
と聞いてみると
「そんなんあらへん」
とのこと。それを聞いた僕は冷蔵庫に向かい、豆の代わりのものを食卓に持ってきた。
ミックスナッツである。血管を丈夫にして血圧が下がるらしいので、高血圧のおばあに食べてもらおうと、僕が数日前に買ってきたものだ。豆とは違うけど、大きさや食感は似ているし、何しろおばあを健康にしてくれる。
目の前に皿ごと差し出すと、
おばあはクルミをひとつ摘まんで口に入れた。
「どう、うまい?」
「ぜんぜん甘くないな」
おばあは不満げに顔をしかめる。それでも味がクセになるようで、テレビを見ながらひとつずつ口に運んでいく。まだまだ健康でいてくれよ、と思いながら僕はアーモンドをひとつ口に放り込んだ。