まつやの「とり野菜みそ」を知らない人は、石川県にはいないという。能登半島に日本海から冷たい風が吹きつける季節になると、石川県の人たちはこの味噌で鍋をつくる。具材は野菜に加えて肉でも魚でも何でも合うし、ダシもポン酢も必要ない。「とり野菜みそ」と適当な具材があれば、病みつきになるおいしさの鍋ができるそうだ。
現地に住む知り合いは、鍋といえば「とり野菜みそ」鍋以外はつくらない、他の家庭でも10回に8回はこの味噌で鍋をしている、といい張る。僕のおばあだってキムチ鍋が好物だけど、それほどの頻度ではつくらない。せいぜい2回に1回くらいだ。
ほんとうに石川県民は「とり野菜みそ」鍋ばかり食べているのだろうか。知り合いの話が嘘でないとすれば、スーパーに並ぶ数多くの鍋の素に勝るおいしさで、飽きもこない味ということになる。
僕も食べてみたい! 年末に金沢で仕事をしたときにそう伝えたところ、最近になって知り合いが送ってくれた。現地では一週間ほど前、大雪で外出ができず、買い置きしていた食材で「とり野菜みそ」鍋ばかり家族でつついていたという。そのとき僕の言葉を思い出し、雪が減ってから外に出て送ってくれたそうだ。
僕は先週、おばあがつくったキムチ鍋を3日連続で食べていた。キムチ味はもう飽きていたので、今度はおばあに「とり野菜みそ」で鍋をつくってもらいたい。そこで今日、僕はおばあに、鍋の具材だけを適当に買ってきてほしい、味付けはいいものがあるから鍋の素は何も用意しなくていい、特にキムチ鍋の素はいらないと伝えておいた。
送られてきたものは、ふつうのものに辛さをプラスした「ピリ辛とり野菜みそ」。辛いキムチも味噌の味も好きなおばあにはうってつけだし、僕も辛いものは好きなので食べるのが楽しみだ。
おばあは鍋の具材として、豚肉に加えて牛肉も用意していた。
「どんな味になるんかわからへんから、豚も牛も買ってきたんや」
とのこと。僕が味噌のパックを見せても、
「ほんまにこれだけでおいしくなるんか? 味噌汁ならダシも入れなあかんのやで」
と石川県民のソウルフードの味に疑いを抱いている様子。
僕も念のためにパッケージの裏を見ると、たしかにこれだけでいいと書いてある。手軽でおいしい鍋ができるから、この味噌が石川県で不動の地位を築いているのだろう。余計なものを足せば、逆に味が落ちてしまうかもしれない。
僕は土鍋にパックの中身の味噌ぜんぶと、規定の分量の水を入れた。シンクで手を洗っていると、おばあが調味料の棚から容器を取り出しフタを開けていた。顆粒のダシだ!
「それはあかん!」
と僕は濡れた手で、おばあから顆粒ダシの容器をもぎ取った。
「おいしくつくりたかったら、いうこと聞いてくれ!」
僕が必死に頼むと、おばあは眉間にしわを寄せたけど、いつものように怒鳴り返してはこなかった。やっぱりおばあもおいしいものが食べたいのだ。
鍋の中が沸騰して食欲をそそる味噌の香りが立ち上ってくると、おばあは次々と肉を放り込む。半分くらいで止めるのかなと思っていると――
豚肉も牛肉もぜんぶ投入してしまった。味噌のスープの中で薄切りの肉がひしめいている。育ち盛りの中高生がいる家庭でもなければ、これだけ一気に食べられないだろう。80代の高齢者と30代の運動不足の男しかこの家の中にいないことを、おばあは忘れているのだろうか?
とはいえ、肉と味噌と唐辛子が合わさった濃厚な香りがたまらない。このスープと肉だけでいいから、ごはんにぶっかけてかき込みたい。だけどもうしばらく我慢が必要だ。空腹が限界に近付けば近づくほど料理はもっとおいしくなる。そう僕は自分にいい聞かせた。
野菜や豆腐を、肉の土台の上に盛り付けてフタをする。やがてフタの小さな穴から蒸気が噴き出してきたところで、僕はふきんを手にして鍋を抱え、おばあが待つ食卓へと向かった。
いつもならおばあは僕を台所に立たせてくれない。おばあが鍋を抱えてすり足で運ぶのは、鍋を食べる前の恒例の儀式と化していた。だけどおばあの知らない「とり野菜みそ」を扱う今日ばかりは大事な役目を僕に任せてくれたのだった。テーブルに鍋を置くと、おばあは待ち構えていたように身を乗り出してフタを取った。
湯気とともに、芳醇な香りが立ち込める。火の通った色の濃い春菊や焼き豆腐、もやしやきのこが、赤い油の浮いた白濁したスープから飛び出している。野菜や豆腐もいいけど、まずはこの鍋の底に層をなして沈んでいる肉を取りたいという衝動にかられ、僕は手にした箸を伸ばした。
すると僕よりも早く、テーブルの向かい側から鍋の底をめがけて2本の箸が差し込まれた。その箸を手にしているのはもちろんおばあだ。
鍋の底から箸を引き抜くと大きな肉塊が現れた。おばあはそれを小皿に移す前に、総入れ歯がぜんぶ見えるほど口を開けてかじりついた。僕も負けてはいられない。
メニュー
・ピリ辛とり野菜みそ鍋
豚肉、牛肉、春菊、木綿焼き豆腐、もやし、しめじ、えのき、まつや「ピリ辛とり野菜みそ」
・サラダ
生:トマト、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
・ごはん
僕も肉を中心に具材を取り分けた。まずは豚肉から口に運ぶ。すると、甘い! 豚肉の脂の甘みがかつて味わったことがないほど引き立てられている。同じ豚と味噌でも、豚汁より濃厚に味噌のうま味が効いている。
淡泊な豆腐や、独特な香りの春菊もそれぞれの特徴を消すことなく、味噌のおいしさが加わっている。どの具材を個別に食べても一品として味わえるし、同時に食べても味に一体感がある。後からやってくる唐辛子の辛さも後を引いて、箸が止まらなくなった。
僕とおばあは競い合い、鍋と取り皿に箸を往復させつづけ、表面の野菜や豆腐を平らげた。そしてついに、あれだけ沈んでいた肉も、箸で鍋の底をさらわなければ見つからなくなった。
僕は一口食べるたびに、ごはんをかき込みたくなるのをこらえていた。おばあが食べながら、
「冷蔵庫に中華麺、あんねんけどなあ」
と独りごとのように何度もつぶやいていたからだ。このスープでラーメンを食べたい! と僕は思わずにはいられなかった。
鍋の中身を食べつくし、僕は立ち上がって鍋の耳をつかんだ。おばあが僕を見上げて小さくうなずき、冷蔵庫のほうを顎で示した。おばあの茶碗にはごはんが半分ほど残っている。いつもはケンカばかりしているおばあと、今日は言葉を交わさずとも意思が通じ合っているのを感じた。僕は次にやるべきことをわかっていた。
冷蔵庫にはおばあがいった通り、袋入りの中華麺が入っていた。賞味期限が去年の12月の日付になっている気がするけど、目に入らなかったことにして袋を破った。
鍋に2人前の中華麺と、ザルに残っていた野菜を入れた。また初めと同じようにフタから蒸気が噴き出してきたところで鍋を抱えてテーブルに急ぐ。食卓ではおばあがふきんを手にして、フタを取ろうと待ち構えていた。
フタを開けると、蒸気の水滴に蛍光灯の光が乱反射して、白濁したスープに浮かんだ賞味期限切れの中華麺が輝いて見えた。またおばあが先に箸を伸ばした。鍋の中にもう肉はない。麺と野菜をおばあは小皿に盛った。さっき食べた量はほとんど引き分けだったけど、おばあの小皿の中を見て僕は「勝った」と思った。
僕は取り皿に肉の塊を残していたのだった。これで麺と一緒に肉が食べられる。具材もスープも最高の味噌ラーメンが、僕の取り皿の中で完成したのだった。僕は肉と麺を箸で一緒につかみ、土鍋をはさんだ向かい側にもよく見えるように、額のあたりまで持ち上げて何度も上下させた。おばあはちらっとこちらに目を向けると、やけに大きな音を立てながら麺をすすった。