めでたい料理におばあが悲しむ。お頭つきの鯛一尾

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鯛の塩焼きと茹でオクラ、ナスの炊いたんなど、おばあがつくった晩ごはん

メニュー
・鯛の焼いたん
・茹でオクラ
・ナスの炊いたん
・茹でもやし
・みそ汁
豆腐、わかめ、溶きたまご
・サラダ
生:ミニトマト、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
・ごはん

僕が夕飯の席に着こうとすると、
「せっかく鯛、買うてきたのに……えらい失敗してもうたわ」
テーブルの向かい側からおばあがいった。いつでもどこでも声を張り上げるおばあなのに、珍しく口調が弱々しい。

並んだ夕飯に目をやると、胴体の皮が無残にはぎとられた焼き魚が皿にのっている。わずかに残った顔としっぽのあたりの皮、そして背びれの鮮やかな赤色で、なんとかこの魚が鯛だとわかる。

おばあは魚をフライパンで焼く。それでも魚が焦げたりくっついたりしないのはシート状の「クックパー」をしいているからだ。それが今日は切れていたのか、フライパンで直焼きしたために表面に皮がひっついてはがれてしまったらしい。

しかも僕のぶんだけではない。おばあの目の前にある鯛も、皮がめくれて白い身をさらしている。取り返しのつかない間違いを犯してしまった、とでもいいたげに、おばあはずっとうつむいたまま、鯛の身を箸先でつついている。

おばあは以前、牛肉を真っ黒に焦がしても堂々としていてた。しかもそれに箸をつけない僕を怒鳴りさえした。それが鯛の皮をはがしてしまったことを素直に「失敗」と認め、落ち込むというのはどういうことだろう。

一尾丸ごとひとり用の皿にのる小ぶりな鯛とはいえ、腐っても鯛。高級魚には違いない。久しぶりに奮発して手に入れた鯛を、完全な状態で食卓に並べることができなかった。それでおばあは気持ちが沈んでいるのか……いや、そうは思えない。真っ黒に焦がしたあの牛肉も、輸入ものではなく、和牛のちょっといい部分だった。和牛と鯛で何が違うのか。おばあにとって鯛は、和牛よりも上位の食材ということなのか。

「冷めるで。さっさと食え」
おばあがいった。いつもならここで怒鳴るのに、今日は相変わらず力がこもっていない。

鯛に箸をつける。白い身は空気を含んでいるかのようにふっくらとしていて、箸の間で透き通った脂がにじむ。口に入れるとほのかな甘みがあって、くさみはまったくない。噛むとジューシーなエキスがほとばしり唾液があふれてくる。塩加減もちょうどいい。皮がめくれてしまっているだけで、味は申し分なく最上級。添えられたレモンを絞ると、さわやかな酸味が、淡白な鯛の味をさらに引き立てた。

さすがはおばあ行きつけの魚屋で買ってきた鯛だ。あの魚屋には、味にうるさいおばあを常連にさせるほどの目利きの技を持った店主がいる。

おばあの「失敗」に気を取られていたけど、わからないことがもうひとつある。小ぶりとはいえ、おばあと僕に一尾ずつ鯛を買ってきたことなんて、今までになかったことだ。正月を除くと鯛は毎回、切り身かアラなので、今日のものよりいくらか安いはず。何かお祝いすべきことがあるなら、おばあは反省する前に教えてくれそうなものだけど……。

「今日は何でお頭つきの鯛なんや? いつもひいきにしてるから、魚屋が安くしてくれたんか?」
「その魚屋なんやけどな、なんやこのへん、手術するらしいわ」
そういっておばあは自分の首から胸のあたりを手でなでた。つまりおばあは、これから手術する魚屋の見舞いがわりに、奮発して鯛を買ったということなのか。

「そんで入院するらしいわ。あそこでは、しばらく魚、買えへんな」
ぼそりといったおばあの目は、むき出しの鯛の身に向けられたままだった。魚屋の客と店主という関係で、深い付き合いをしているわけではないけど、知り合いが入院するというのは、よっぽどつらいことなのだろう。

僕もあの魚屋で買ってきた魚を、しばらく食べられなくなるのは悲しい。鯛の身を口に運んでじっくり味わう。そしてレモンをつかんで強く絞った。