昨日の夜、おばあはテレビ見ながら
「あの子、かわいそうやな」
と、めずらしく他人に同情した。コンビニでアルバイトをする高校生が、恵方巻きの販売ノルマを課せられて、2月3日が近づくと憂鬱になるという話をニュースでやっていた。
「売るんが大変なほど、ぎょうさんあるんやったら、買いに行ったろか」
近所のコンビニで恵方巻きを買って、店員のノルマを少しでも減らしてあげたいらしい。ワイドショーや井戸端会議で他人の不幸な話を聞いて楽しんでいるくせに、若い世代にはなぜかやさしい。
その心がけはいいことだけど、おばあのつくった恵方巻きが食べられないと思うと少しさびしい。恵方巻きはおばあの得意料理である巻きずしを、切らずに丸ごと食べるものだ。正月か節分くらいにしかつくらない料理の腕を存分に発揮できるのに、コンビニで買ってくるなんて。
そもそも近所のコンビニには、高校生のアルバイト店員はいない。中年男女とフリーターっぽい人ばかり。みんな常連の高齢者たちにうまく対応し、和気あいあいとした雰囲気で、無慈悲な販売ノルマを課せられているようには見えない。
僕は近所のコンビニの様子を説明したけど、おばあは目も合わさず返事もしない。おばあの頭のなかでコンビニは、可憐な女子高生をこき使う、悪の巣窟と化しているよううだった。僕は感情的になって話がだんだん脱線し、コンビニの食品には添加物が大量に使われているから危険だとか、ニュースの高校生の主張も本当かどうかあやしいとか、本心ではないことまで口走ってしまった。
おばあのつくる恵方巻きをあきらめていた今日、昼すぎに電話がかかってきた。今から恵方巻きをつくるという。
「見たかったら来たらええ」
といい残して一方的に切られた。だけど声は明るく、むしろつくるところを見に来て欲しいといっているようだった。
すでに数本、巻き終わっていた。それでもまだ具材や酢飯が半分以上残っていて、おばあは手持ち無沙汰にしていた。僕を待ってくれていたらしい。
おばあは立ち上がり、灯油ストーブの上で海苔をあぶった。それを巻き簾にセットする。その上に、木製のたらいに用意した酢飯をうすく伸ばす。具材には醤油やみりんなどで煮たシイタケとかんぴょう、そしてかまぼこ。さらにたまご焼きと、生のきゅうりものせる。海苔の端を酢で湿らせ、手早く巻き簾ごと巻いていく。
丸めた巻き簾を立て、端を押さえて形をととのえる。そして何かに祈るように両手で掴んで力を込め、巻き簾をほどくと、海苔にシワひとつない見事な恵方巻きができている。おばあはつぎつぎと、大きなものをぜんぶで8本もつくった。
メニュー
・恵方巻き
たまご焼き、シイタケ、きゅうり、かんぴょう、かまぼこ
・いわしの焼いたん(2匹)
・シイタケとかんぴょうの煮たん
シイタケ、かんぴょう
・みそ汁
豆腐、わかめ、たまご、ほうれん草、青ネギ
・野菜
(生:ミニトマト、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草)
そして夜、僕は恵方巻きを食べにおばあの家にやってきた。昼間に8本もつくっていたので、誰かにいくつかあげたのかと思っていたら1本も減っていなかった。
「これが食べたかったんやろ」
とおばあはいう。僕に食べさせるために大量につくったのか。
「こんなに食べられへんわ」
「あんだけ食べたいっていうてたら、これくらいつくるわ」
とおばあは、人のせいにする。僕は食べたいとはいっていない。前日に、コンビニで買ってほしくない理由を説明しただけ……ああ、そうか。
『コンビニで買うな』といっていたのは、『おばあのつくった恵方巻きが食べたい』と訴えていたのと同じだ。それをおばあは、返事をせずに聞いていた。僕の話が感情的なってエスカレートするのを、よろこんでいたのだ。自分がつくった料理を食べたいと、孫が必死に訴えているのだから悪い気持ちはしないだろう。
食べたかったのは事実だから、反論できないのが悔しい。黙って今年の恵方、北北西を向き、恵方巻きにかぶりつく。こうすれば願いが叶うという。変な風習だと思いながら、来年もまた、同じものが食べられるように願った。
僕が2本食べ終えると、先に食器を片づけていたおばあが台所から落花生を持ってきた。すました顔で殻を割り、中身を黙々と口に運んでいるおばあを見ていると、なんだか腹が立ってきた。
僕は袋からひとつかみした落花生を床にばらまいて、おばあの家を出た。カバンには次の日の朝と昼に食べる恵方巻き、ポケットには落花生が詰まっている。