メニュー
・鍋
豚肉、春菊、白菜、もやし、えのき、しめじ、マロニー
・なます
大根、にんじん、さば
・ごはん
醤油を加えた カツオダシに、土鍋からはみ出しそうなほどの具材から溶け出した旨味が渾然一体となった汁。それを具材と一緒に取り皿にすくうたび、一滴のこらず飲み干さずにはいられない。
こういう、汁に味付けをした鍋を『寄せ鍋』というのだったか。豚肉がメインのようだからこの鍋の名前は『豚肉の寄せ鍋』とでもいえばいいのか。毎日のようにおばあの料理名をここに書いている僕は、「この鍋は、なんていうんや?」と聞いた。
するとおばあは、「今日、ナカムラさんと清荒神、行ったんや。宝塚の神様や!」。突然、脈絡のないことを言いはじめた。今、僕はおばあの世話になっている立場だけど、ついに僕がおばあの世話をしなければならないときがきたのか! と心配になって、箸を落としそうになった。
頭がおかしくなってしまったら、高齢者は料理がつくれなくなるという。でも、目の前の鍋にへんなものは入っていないし、味付けの加減も大丈夫どころか絶好調だ。もう少し落ち着いて話を聞いてみたほうがいい。
清荒神というのは宝塚市にある神社で『かまど神』、つまり台所の神様がまつられている。おばあはそこに、友達のナカムラさんと初詣に行き、お札をもらってきたという。「だから今日は、鍋にしたんや!」とおばあがいうのは、忙しい日には具材を切って煮込むだけの鍋が手軽にできてちょうどいい、という意味らしい。
でも僕が聞いているのは『なぜ』鍋をつくったのかという理由ではなくて鍋の名前だ。そういうと、「だから今、いうたやろ!」とキレられた。ああ、そうか。この前おばあに、ラーメンにも色んな味があるという話をしたとき、釈然としない様子で「ラーメンはラーメンやろ」と言っていた。おばあにとって鍋は鍋なのだ。
モツ鍋とかキムチ鍋とか、豆乳鍋とか色々あるけれど鍋は鍋。それよりも、おばあにとって鍋とは、忙しい日に手軽につくっておいしく食べられる料理で、それ以上でもそれ以下でもない。そういうことなのかもしれない。
僕は質問することをやめた。黙々と取り皿の具材を食べていると、「それに今日は、えらい寒いからな」と、おばあはさっき癇癪を起こしたことを恥じるようにいう。
僕の体はすっかりあたたまっていた。昨日、僕が写真を撮っているあいだ、お椀の粕汁が冷めてしまったことで、おばあと衝突してしまった。だから今日は、小さなお椀ではなくて冷めにくい土鍋にしたのか。おばあが鍋を出す理由はきっと、手間がかからないというだけじゃなくて、食べた人をあたためたいからだ。そう思えば、鍋の種類や名前なんてどうだっていいか。