台所から現れたおばあは、皿を持っていた。そこに乗っているのは――
焼いた鮭だ! 晩ごはんに鮭を出すとはめずらしい。おばあの家で鮭といえば、昼に食べるおにぎりと一緒に持たせてくれるランチのおかずなのに……って、そんなことより、隣の茶碗に盛られているのは――
メニュー
・シャケの焼いたん
・ほうれん草のごま和え
・大根とタケノコの煮物
・タコとキュウリとワカメの酢の物
・冷奴
・刻みオクラ
・サラダ
生:玉ねぎの醤油漬け、ミニトマト、キャベツ
茹で:ブロッコリー、アスパラガス
・茶碗カレー
ニンジンやジャガイモが混じった、茶色いペースト状の見た目といい、食欲をそそる香りといい――
カレーやんか! どうしてカレーが……茶碗に!? しかもかなり水分が飛んで、キーマカレーみたいになっている! つくってから3日くらい経たないと、こうはならないだろう。だけど3日どころか、もう1ヶ月くらいカレーは出ていない……。
それに今晩、新しくつくったのなら、大鍋でグツグツ煮込んだかぐわしい香りが、玄関先まで漂っているはずなのに、それもない。どうやらカレーは、この茶碗に乗っているぶんしかないらしい。だったらカレーはどこから……。
向かいの席のおばあは、すでに晩ごはんを食べ終え、イスにゆったりと腰掛けてテレビを見ている。
「カレーは誰かからもらったんか?」
と聞くと、
「そら、つくったやつや!」
大声が返ってきた。
どういうことだ!? おばあがつくったのなら、どうしてこんな3日煮詰めたようなペースト状のものが、茶碗一杯分しかないんだ!? そうか! 今日つくったとは限らないぞ。
「つくったって、いつのことや?」
「いつって……いつやったかな。忘れたわ!」
開き直ったようにおばあは答えた。
忘れるほど前といえば――
「冷凍してたんやろ」
「そうや! 冷凍庫の奥にしまってあったんや」
“しまってあった”って、冷凍したのを忘れていただけじゃないのか? たしか以前、おばあの家でカレーを食べたのは、一か月以上前。冷凍庫の奥に眠っていたのなら、前回冷凍したやつとは限らない。さらに前だったら一体、何ヶ月以上前につくったものなのか……。これを食べて僕のお腹は無事で済むだろうか。
せっかく用意してくれた大好物のカレーだけど、寒さで風邪をひく前に食あたりでダウンなんてシャレにならない。超人的に丈夫な胃腸を持つおばあなら平気だろう。でも凡人の僕は食べないほうがよさそうだ。幸いおかずも充実している。
見るからに味の染みた大根とタケノコの煮物に、
カツオ節たっぷりの冷奴、
ほうれん草のごま和え、
サラダなど野菜も充実している。さらに今晩は鮭もある。これなら、茶碗の上のカレーだけこっそり捨てて、ごはんだけ……とはいえ、さっきから茶碗から立ち上るスパイシーな香りをかいでいると、久しぶりのカレーを味わいたくてたまらなくなってきた。
思わず茶碗と箸に手が伸びる。たとえ腐っていても、ひと口くらいなら大丈夫だろう。そう思って、箸の先でペースト状のカレーを少しつまんで口に運ぶと……うまい! 水分が飛んで、カレーの味が凝縮している。少し弱いと思った香りも、口に入った途端、爆発的に強くなる。
味が濃いぶん、ごはんと一緒に食べるとちょうどいい具合になって、さらにおいしくなるのは確実! もう一口だけならと、次はごはんと一緒にカレーを食べると、もう、止まらない! それから一気に、茶碗の中身を平らげてしまった。
これから自分の胃腸がどうなってしまうのかなんて、とっくにどうでもよくなっていた。それよりも、あとに残されたおかずをどうやっておいしく食べるのか、おばあはごはんのお代わりを許してくれるのか、そんなことで頭の中がいっぱいだった。
すると、
「ごはんなら、まだあるで!」
おばあの大声が響いてきた。これは、お代わりを許す神からのお告げだ! とばかりに、僕は太ることなんて気にせず、茶碗を掴んで台所に急いだ。