近ごろおばあがつくる〝トンカツ”は、衣がパン粉じゃない。薄めの豚肉に「揚げずにからあげ」という油がなくてもカラッと揚がる便利な粉をまぶしている。おばあはこれを「トンカツや!」というけど、正しくは豚肉の唐揚げである。たしかに味はおいしい。だけど……こんなのはトンカツじゃない!
先日僕はつい、トンカツもどきの豚肉の唐揚げを「物足りない」と言ってしまった。おばあは料理のことで意見されると決まって機嫌が悪くなる。しまった! と思ったもののこのときは珍しく、大きな声で怒ったり、反対に何もしゃべらなくなったりもしなかった。おばあは84歳になってようやく、人の言葉に動じない寛容さを身に付けたのだろう。そう思っていた。
ところがしっかりと僕の感想を気にしていたのだった。というのも、今晩のトンカツはちゃんとパン粉で揚げてある〝本物のトンカツ”だ!
メニュー
・トンカツ(パン粉つけて揚げたやつ!)
・たまご焼き
・ジャガイモの炊いたん
・茹でもやし
・酢の物
ワカメ、タコ、キュウリ
・サラダ
生:玉ねぎ、トマト、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
・ごはん
衣はきつね色、肉はほんとりと薄いピンク色で揚げ具合もばっちりだ。肉は厚みがあり、一切れかじるとサクッとした軽い歯触りのあとにほどよい弾力。じわっと染み出してきた油と肉汁は熱々で、ハフハフいいながら味わう。やっぱりこれがトンカツだよ、おばあ!
テレビには「非常に強い」風で那覇の街路樹が折れ、ビルの外壁が吹き飛ばされている様子が映っている。台風は明日、関西に最接近するらしい。僕が来たときには、すでに家の外の鉢植えの葉がわさわさ揺れていた。
おばあが今晩〝本物のトンカツ”をつくったのは、台風が来ているからに違いない。この前の台風のときも豪華なマグロのトロを出した。大阪に台風直撃という滅多にない事態に、おばあははしゃいでいるのだ。小学生かよ!
向かいの席でおばあは、久しぶりにつくったトンカツをかじり、
「うん、うまいわ!」
と笑顔で自画自賛している。顔の血色もよく実に楽しそうだ。こんなときによく笑顔でいられるよ。前回の台風のときは、この家も無傷ではすまなかったのに……。それにうまいと思うなら、もっとこのトンカツをつくってほしい。面倒ならよろこんで手伝うのに、おばあの聖域である台所に僕は立たせてもらえない。
おかずはトンカツのほかに酢の物や、
ジャガイモの炊いたん、
茹でもやしというのはわかるけど――
たまご焼きがあるのはどういうわけだろう? しかも大きな固まりが丸ごと皿に乗り、トンカツに引けを取らない存在感を放っている。タンパク質たっぷりの栄養バランス的にも、こってりとした食べごたえのある味わい的にも、トンカツと一緒というのは意味がわからない。体育会系の高校生じゃあるまいし。運動不足の三十代の内臓には負担が大きすぎる。
そういえば以前にも、この組み合わせのメニューが食卓に上ったことがある。しっかり筋肉をつけて寝たきりを防止したいのだろう。とあのときは思ったけど、山盛りのトンカツがあれば、よっぽどハードなトレーニングをしていない限り、筋肉をつくるタンパク質はじゅうぶんなはず。
「今日はえらい豪華やな! トンカツあるのにたまご焼きまでつくったのは何でなん?」
おばあの機嫌を損ねないように料理を褒めつつ聞いてみた。
「トンカツにつける、たまごが余ったんや!」
とおばあはいった。ああ、そういうことか。豚肉に衣をまぶすときにつける溶きたまごの残りを、そのまま捨てるのはもったいないので、たまご焼きにしたということだ。でも、それにしてはでかすぎる。たまご3個は使っていそうだ。それが僕とおばあのぶん2つある。余った溶きたまごを焼くなら、薄い錦糸卵かひとかけのスクランブルエッグくらいしかできないだろう。そこにおばあはわざわざたまごを足して、立派なたまご焼きをつくったらしい。
余計にわけがわからない……。一体どういうわけなんだ、おばあ! 考えても答えは出そうにないので、ひとまずたまご焼きを食べようと箸を突き刺す。すると突然、目の前のおばあが自分の皿のたまご焼きを両手でつかんだ。かと思うと総入れ歯の口を大きく開け、がぶり端からかじりつく。
口いっぱいにたまご焼きをほおばったおばあの顔は、満面の笑み。弾むようなリズムでもぐもぐと口を動かす。続いてトンカツも手づかみして口に入れる。頬に赤みが差し、幸せをかみしめているみたいだ。そうか。おばあはただ、たまご焼きとトンカツを一緒に食べるのが好きなんだ。
台風が来てテンションが上がったおばあは、好きな組み合わせのメニューをこしらえたということか。そうだとしたら、好物なんだから普段からもっとつくってくれてもいいのに! そう訴えようと思ったとき、
「外の物干し竿、下ろしといてくれ!」
おばあが大声でいった。立ち上がって窓の外を見ると、風にあおられた物干し竿がぐらぐら揺れていた。