メニュー
・たまご焼き
たまご、ねぎ
・シチュー(2日め)
鶏肉、にんじん、じゃがいも、たまねぎ (ルウ:北海道シチュー「クリーム」)
・野菜
(生:トマト、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草)
・ごはん
おばあは和食や洋食という料理の分け方はしない。だからシチューと、ネギ入りの大きなたまご焼きが一緒に並ぶ。切らずに丸ごと皿に乗っているので、和風のオムレツに見えなくもない。そう思うと、今日のメニューはシンプルでバランスの取れた理想的な組み合わせに感じてきた。和洋中とかタイとか韓国とか、ロシアとか、そんな区分なんて、小さすぎる。うまいかまずいか、合うか合わないか、それだけで決めるおばあの価値観のほうが、僕の乏しい人生経験で得た先入観よりよっぽど合理的で、何より自由だ。
たまご焼きの表面には、均一にうすい焼き色がついていて、弱火でじっくりと焼き上げられたことがわかる。箸でつかんでも、中身がしっかり詰まっているので崩れるどころか曲がりもしない。はやりの「ふわとろ感」のあるオムレツと対極をなす、ハードな質感に好感が持てる。ふわとろのオムレツも好きだけど……。
好きなたまごの食感すら絞り切れない優柔不断な僕にくらべ、おばあのつくったたまご焼きの硬派なこと。流行にながされず、固い芯を持ち、肌はこんがり焼けている。僕とは何もかも正反対だ。ちまちまと箸の先でつまんでいるのが申し訳なく思えてきた。
僕は箸を放り出し、たまご焼きをわしづかみにした。すると小指がささり、内側にたくわえられていた熱さに、悲鳴を上げそうになった。だけど今の僕は、このたまご焼きにふさわしい硬派な男だ。熱さに耐え、一言も発することなく端からかぶりついた。
「なんや、羊羹みたいな食べ方するんやな」
おばあが声をかけてくる。羊羹を食べるときおばあは、周囲のアルミの包装をはがし、そのまま一本をかぶりつく。一方、僕は付属の爪楊枝みたいなやつで、ちょっとずつけずり取って口に入れる。なんてかっこ悪い食べ方をしていたんだ。これからは何でも豪快にかぶりついてやる。
たまご焼きの味付けは塩だけだろうか。食感も固めなら味もぎゅっと凝縮されているように濃く、とても塩だけで出せる味のようには思えない。台所にある味の素のうま味調味料を入れているのかもしれない。おばあに問うと
「そんなん、たまご焼きに入れるわけないやろ!」
と怒鳴られた。それでも今日の僕は黙ったりしない。強引に食い下がる。
「何かかくし味を入れてるんやろ」
「・・・・・・」
おばあが何もいわず顔をしかめたので、怒りをこらえているのかと思ったら、
次の瞬間、大きなくしゃみをした。そして
「これが、かくし味や」
と真顔でいった。おばあの前には、つばやらシチューやら得体の知れない液体が飛び散っている。
僕はおばあの「かくし味」が冗談であることを願った。すると、たまご焼きを手づかみで食べることも、とても不潔なことのように思えてきた。僕はたまご焼きを皿に戻し、箸で切って口に運んだ。一切れのサイズは意識して、すこしだけ大きくした。