おばあの家にやってきた僕は、晩ごはんが並んだテーブルの脇をさっと通り抜け、まっすぐ台所に向かう。
「なんや! 台所行って何してるんや!」
居間からおばあの大声が聞こえてくるけど、今は答えるわけにはいかない!
僕は冷蔵庫を開け、おばあの手が届かない一番上の空っぽの棚に、ケーキが入った箱を置いた。
今日は敬老の日だから、いつも世話になっているおばあに、日ごろ伝えられない感謝の気持ちを込めて大好物を買ってきたのだった。
そしてプレゼントを渡すなら、はじめは何もないと見せかけて、食後に何気なく出したほうがよろこんでくれるはず。おばあにはしょっちゅう食べ物のことで驚かされているので、今日はこちらが嬉しいサプライズを仕掛けてやる。
僕は流し台で手を洗い、おばあが待つ居間に戻った。
「手を洗ってただけや」
とごまかそうとすると、
「手なら洗面所で洗えばええやろ!」
ともっともな返事が返ってきた。それは聞かなかったことにして席に着く。
テーブルからは香ばしいかおりが立ち上っていた。今晩のメインディッシュは――
メニュー
・アジの塩焼き(半分、頭側)
・ひとくちサイズの冷奴
・大根とナスの煮物
・オクラのカツオ節がけ
・ポテトサラダ(惣菜)
・サラダ
生:玉ねぎの醤油漬け、ミニトマト、キャベツ
茹で:ブロッコリー、アスパラガス
・ごはん
焼き立てのアジの塩焼きだ! 皮にはほどよく焦げ目がつき、透明な脂が染み出している。焼き魚というと、おばあはよく魚屋ですでに焼いてあるものを買ってくる。そうすると食べるころには皮は湿気てしまうし、臭みも出るのでおいしさが半減してしまう。高齢のおばあの負担を考えると、仕方がないことだと半ばあきらめていた。それが今晩は、久しぶりに生のアジを焼いてくれたのだ!
ありがとう、おばあ。お返しにケーキを買ってきてるんやで。と言葉に出したくなるのをぐっとこらえて箸を手に取る。
このアジ、かなり立派な大きさだ。それを胴体から真っ二つにして焼くなんて、見たことがないぞ。尻尾のほうを食べているおばあが、大きなアジを出刃包丁で一刀両断したらしい。
箸を入れると、パリッと小気味いい音がして皮が割け、純白の身があらわれる。口に入れると皮の香ばしさが鼻に抜け、噛めば身にたっぷりと含まれている、うま味が凝縮したエキスがあふれ出してくる。余計な臭みは全くなく、少し強めの塩気があって、ごはんをかき込まずにはいられない。
身をつまんでは口に放り込み、ごはんで追いかける。その合間に箸を伸ばす煮物や冷奴、そしてポテサラといったおかずがアクセントになって、主役のアジのおいしさを引き立てている。アジ……ごはん……おかず……アジ……と食べすすめていると突然、エビの味がした!
僕はアジを食べたつもりだったのに、たしかにエビの味がしたのだ。おかずの中にもエビなんて、どこにも見当たらない。
まさか! と思ってアジの腹を箸で割ると――
何だこれは! 小さなエビのようなものが、塊になってぎっしり詰まっている! アジの腹ということは、エサとして食べたオキアミか! このアジの塩焼き、腹に内臓が残っていたんだ。となりに茶色っぽいキモのようなものもあるし……さてはおばあ、内臓を取らずにアジを焼いたな。
焼き立ての身の味は問題ない、というよりいつもよりおいしいし、オキアミだって毒があるわけじゃない。だけど正直、この状態は見ていて気持ちがいいものでもない。内臓くらい取ってから焼いてくれ!
そうひと言いたいけど……我慢、我慢。今日は敬老の日なのだから、おばあに機嫌よく過ごしてもらいたい。僕はアジが食べたオキアミの塊を皿の端に寄せ、できるだけ見ないようにして食べすすめた。
少し食欲がそがれたけど、相変わらずアジの塩焼きは絶品だった。
食事を終えて顔を上げると、おばあがテーブルに――
デザートのぶどうを出していた。軸からもがれた実ばかりが、ずらっと並んでいる。こんな状態で売られているのは見たことがない。おばあがもいで軸は捨てたのだろう。
なぜこんなことを……というより、今ぶどうをたらふく食べて、お腹いっぱいになられては困る! これからケーキを出すところなのに!
僕が見てる間にも、
おばあはぶどうをひとつ、
ひょいとつまみ上げ、
パクリと口に入れる。
このままではまずい!
「おばあ、ぶどうあんまり食べんといて!」
僕はそういい残して、冷蔵庫に急ぎ――
ケーキを2つ皿に乗せて持ってきた。
「今日はケーキ買ってきてたんや。どっちか好きなーー」
僕がいい終わる前に――
おばあは迷わず、チョコレートケーキのスプーンに手を伸ばした。
そうだと思ったよ。おばあはシュークリームも好きだけど、とにかく甘いものが好物だから、見るからにチョコレートたっぷりで甘そうなやつを選ぶだろうと、これを買ってきたんだ。
おばあはさっそくーー
ケーキの乗った皿を手にして、スプーンを突き立て、
吸い込むようにパクパクと口に運んでいく。さらには――
かじりつくように頬張り、
またたく間に平らげてしまった。
嬉しいかどうか、サプライズは成功だったのか、直接言葉で聞くまでもない。どうせ聞いても頑固なおばあは正直に答えてくれないだろう。だけどこの見事な食べっぷりを見ればわかる。おばあはよろこんでくれた!
スプーンを置いたおばあは――
指を舐めて満足げだ。僕も満たされた気持ちになって、ようやく自分のぶんのシュークリームを食べはじめる。
表面がカリカリで、
皮はうすく、中にはほどよい甘さのカスタードクリームが詰まっている。最初はスプーンで食べていたけど、邪魔くさくなって手づかみでかぶりつく。カスタードクリームが口の周りや指先につくけど、そんなの気にしない。後でおばあのように舐めてしまえばいいんだ!
食べ終えてから指先を舐めたけど、なんだかまだベタベタして気持ち悪い。席を立ち、洗面所に手を洗いに行って戻ってくると――
おばあが何かを口に入れている! これは――
アイスクリーム!
森永の「パリパリバー」だ!
晩ごはんとぶどうと、チョコレートケーキまで食べておいて……
「なんでアイスまで食べるんや!」
ついにたまらずいってしまった。すると
「まだ食べたいからや!」
と怒鳴られた。
甘いものの食べすぎは体に悪そうで心配だけど、敬老の日の今日ばかりはもう何もいえない。おばあがよろこんでくれたらそれでいい!
そして僕も、今日は健康とかお腹の脂肪のことなんて気にせず、おばあと同じようにパリパリバーを食べようか。そんなことを思いつき、迷いながら台所に向かった。