メニュー
・牛肉の炊いたん
牛肉、糸こんにゃく、長ネギ、もやし
・たまご焼き
・大根おろし
大根、乾燥小エビ
・茹でもやし
・サラダ
生:トマト、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
・ごはん
6月1日はおばあの誕生日だ。僕は商店街のケーキ屋に寄ってから、夕飯を食べにおばあの家にやってきた。選んだケーキは、ショーケースの中で一番甘くて濃厚そうなザッハトルテ。甘さひかえめでヘルシーな感じがするフルーツタルトがよく売れていたけど、ケーキは甘ければ甘いほどおいしいとおばあはいう。
おじいの仏壇にお供えするという名目で、おばあの家には羊羹やまんじゅう、果物などが常備してある。それを家にいるあいだ、おばあはしょっちゅう口に運んでいる。おばあは夕飯でごはんを食べないことがある。「ダイエットや!」といい張るけど、夕飯前に甘い菓子を食べすぎてあまりお腹が減っていないだけだと思う。
おばあはかなりの高血圧だ。それに加えて糖尿病にもかかったら、高齢の体が耐えられるか疑わしい。おばあは83歳になったのだ。
だけどまあ、誕生日くらい、好物の甘いものを堪能したらいい。そう思って、チョコレートそのものよりも甘そうなザッハトルテを買ってきたのだった。
僕がケーキ屋に足を踏み入れることは、一年の間に数えるほどしかない。だからどれを買えばいいのか迷ってしまうだろうと見積もって早めに出かけた。ところが「とにかく甘くて濃厚なもの」を店員に聞くと、間髪入れずにザッハトルテをすすめられたのだった。
それで僕はいつもよりも早い時間におばあの家にやってきた。ケーキの入った箱を冷蔵庫に入れるために台所に行くと、おばあが料理をつくっている途中だった。牛肉や糸こんにゃくなどの具材を、深めのフライパンですき焼きのように炊いている。その前に立つおばあが片手に握っているのは1リットルの醤油のボトルだ。
僕は以前、おばあに、瓶入りの減塩醤油をアマゾンで買ってプレゼントした。塩分が低いと血圧が上がりにくいので、この醤油を使うようになれば、濃い目の味付けが好きなおばあの高血圧に効果があると思ったからだ。料理をつくってみて、減塩醤油の味は普通の醤油と大差ないとおばあも認めた。だから「これからは減塩醤油を使って欲しい」と伝えた僕の願いを、おばあは了承してくれたものだとばかり思っていた。
だけど今、おばあが握りしめているのは減塩醤油の瓶ではない。どこに売っているのかわからなかったのだろうか。だったら僕がまたアマゾンで注文するのに! それとも口うるさく減塩をすすめる僕がいる手前、すべてを聞き入れたフリをしていただけで、実は醤油の微妙な味の違いが気に入らなかったとか……。だったら、別の味わいのものを探したのに!
おばあは料理をつくっている最中に口出しされることを何よりも嫌う。だけど僕は黙っていることができず、
「何で、減塩醤油を使わへんのや」
といった。するとおばあは、
「うるさいわ! だまっとれ!」
と声を張り上げた。網戸の向こうの通りで井戸端会議をしていたおばさんたちの話し声が急に聞こえなくなった。しまった! おばあを怒らせてしまった。短気なおばあも誕生日くらい心穏やかに過ごして欲しかった。
それからおばあと僕はひとことも言葉を交わすことなく、食事をはじめた。牛肉を炊いたものは、普通の醤油を使っている上に、さっきおばあが怒った勢いで量を多く入れすぎたのかやけに塩辛かった。しかもおばあは、それを少しだけ自分の皿に取り分けただけで、あまり食べようとしない。僕にはたまご焼きや、大根おろしも出してくれているけど、おばあの目の前に並んでいるのは少量の肉の炊いたもの以外は、サラダと茹でもやしだけ。ごはんすらない。
「ダイエット中なんか?」
僕は皮肉をいった。
「ケーキ、買ってきとるんやろ。それを食うから、控えとるんや」
おばあは素直にそう答えた。
おばあはすぐに夕飯を食べ終え、僕もできるだけ早く平らげた。そして冷蔵庫からケーキの入った箱を持ってくる。甘そうなキャラメルケーキも買ってきていたけど、おばあは箱を開けるなり迷わずザッハトルテを手に取った。
そのまま手づかみでかじりつきそうだったので一旦、皿においてもらった。僕が写真をひとつ撮ると、すかさずおばあの手が伸びてきてザッハトルテを引き寄せ、フォークと素手で豪快にばくばくと食べはじめた。
ケーキがあるとはいえ、食いしん坊のおばあが、さっきあれほど夕飯をセーブしていたということはたぶん、その前にも菓子をたらふく食べている。だけど今日は、料理の味も、ケーキの食べ方も、甘いものの量も、おばあの好きなようにしたらいい。僕も普段、控えている甘いものをしっかり食べてやる。キャラメルでコーティングされた甘くて少し苦いケーキを頬張り、僕はおばあの誕生日を祝った。