早く食べないと、おばあが全部食べつくす。殻つき蒸し牡蠣

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豚肉、あげ、白菜、しめじ、青ねぎ
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トマト、ブロッコリー、キャベツ、アスパラガス、ほうれん草
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僕が居間に入ると、灯油ストーブの前のイスからおばあが立ち上がった。僕には目もくれず台所に行き、火にかけていた大きな鍋をかかえて流しのタライに中身をぶちまける。硬いものがガラガラとぶつかる音がして、立ちのぼった湯気におばあの上半身がつつまれた。

胸のあたりにタライをかかえたおばあが居間に向かってきた。湯気で蒸された顔の皮膚にうるおいが補充され、デコとほっぺがテカテカと輝いている。表情は険しく眉間にはシワがよっている。顔の血色がいいのは蒸気の効果だけではなくて、渾身の力を込めて重いタライを持ち上げているからだ。

代わりに持とうと手をのばすと、
「じゃまや!」
といって僕を押しのけ、おばあはまっすぐテーブルを目指す。プライドの高いおばあは滅多なことでは人の手を借りようとしない。でも今回は、老人あつかいされたから僕の助けを断ったというより、一秒でも早くテーブルにタライを持っていきたいらしい。目的地に視点を定め、絨毯の上をすり足で高速移動する。それを見ていると絨毯のへりにでもつまづいてしまいそうでハラハラする。

おばあはタライを鍋敷きの上に置き、後ろから見守っていた僕が席に着くのも待たず、タライのなかに手を伸ばす。そしてまだ湯気の立つ大きな牡蠣を取り出し、殻を開け、なかの身を素手で引きはがして口に放り込む。

今日の夕飯は、お歳暮でとどいた瀬戸内の殻つき牡蠣。今年は海水温が高く、牡蠣の生育が遅かったので、お歳暮といっても年明けになった。

半分に切ったレモンも用意してあったが、おばあには殻のなかの海水の塩味だけで十分らしい。いや、味つけがどうこうより、とにかくスピードを意識しているようだ。口に入れた牡蠣の身を数回噛むだけで飲み込んでいる。僕が席に着くあいだに3つは平らげ、つぎの殻を開けていた。

なぜそれほど、牡蠣を急いで食らうのか。塩味だけとはいえ海水はけっこう塩辛い。僕は普段、高血圧のおばあに、体にいいうす味のものを食べろといっている。だけど、殻つきの牡蠣から塩分を抜くわけにはいかない。僕がうるさくいわないことを知っていて、ここぞとばかりに濃い塩味の牡蠣を食べているのかもしれない。やわらかい食感というのも、硬いものが食べにくい総入れ歯のおばあにとって好都合だ。

そうなると、こうしてはいられない。僕も食べないと、おばあはひとりで、ほとんどの牡蠣を飲み込んでしまいそうな勢いだ。急いで殻を開け、身を引きはがして口に入れる。生育が悪いと聞いていたけど、どれも大ぶり。蒸し加減はちょうどよく、ぷりぷりの身は噛むと弾けるように中身が飛び出し、やわらかく濃厚で、やはりしっかり海の塩の味がする。

「そんなに急いで食べんでええ」
とおばあがいう。自分の方こそ急いでるやんか! と思ったけど、言い合いになるのは嫌なので黙ったまま手と口を動かす。するとおばあは続ける。
「牡蠣は冷めると殻が閉まってしまうんや。お前は力があるし、冷めても開けられるからゆっくり食べたらええんや」

そんなことをいって僕の食べるスピードを落とそうとするけど、おばあは自身は序盤のハイペースをくずさない。しゃべるときも口のなかには牡蠣の身が入ったまま。

しだいに牡蠣の温度が下がってきて、おばあがいう通り殻が開けづらくなってきた。なかなか合わせ目にすきまが見つからず、爪をなんとか差し入れ、殻をこじ開けた。老眼のおばあには難しい作業だ。どうやって開けているのか目をやると、おばあはなんとバターナイフを手に持ち、軽々と殻を開けていた。

冷めてからも、殻を開ける気まんまんやんけ! 僕にゆっくり食べるようにいったのは、やっぱりおばあがほとんどの牡蠣を食べたかったからだ。

僕が黙っていると、おばあは牡蠣を手に持ったまま、別の手でバターナイフをもう一本、取り出した。そして無言のまま、こっちによこす。僕が受け取る瞬間、おばあはにやりと笑った。