玄関を開けると、香ばしい揚げ物のかおりが充満していた。おばあはいつも揚げ物を、大きなアルマイトのバットに山盛りつくる。鶏肉、れんこん、さつまいも。カリッと揚がった唐揚げや天ぷらの山が、頭の中に現れて黄金の光を放っている。僕はつばを飲み込み、靴を脱ぎ捨て居間に駆け込んだ。
おばあの背中ごしに、テーブルに目をやると――
白いシートをひいた皿の上に、鶏の唐揚げがのっていた。どういうことだ! 揚げ物は一種類だけ、しかも数えるほどしかない。
僕が茫然と眺めているあいだにも、貴重な鶏のから揚げをおばあが箸でつまみ上げる。そのまま口に持っていくと、豪快に半分ほどかじり取り、総入れ歯でがつがつと噛み砕く。あっという間に食べつくされてしまいそうだ。おばあが唐揚げを口に運んでいる隙に、僕は素早く自分のぶんを小皿に確保した。
メニュー
・鶏の唐揚げ
・白和え
豆腐、ほうれん草、ごま
・根菜の煮物
ごぼう、にんじん、れんこん、こんにゃく、たけのこ
・みそ汁
豆腐、白菜
・サラダ
生:ミニトマト、春キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
・ごはん
小さな取り皿はすぐに山盛りになった。いつもなら僕もおばあも、この3倍の量は食べている。しかも次の日はもちろん、3日目にも残っていたりする。
たまに食卓に並ぶ「揚げずにからあげ」を使った唐揚げなら、油がいらないので少量というのもわかる。だけど今晩のから揚げは、見るからに油で揚げてある。
油は熱すると酸化して味が落ちていくし、体にも悪いので何日も使えない。処理をするにも手間がかかる。せっかくたっぷりの油を使うのだから、おばあは揚げ物をする際、ここぞとばかりに揚げまくる。
ところが今晩は、油を使った唐揚げを少ししか用意していない。
揚げ物だけを大量につくれば、調理の効率もいいはずなのに……。それどころかテーブルの上には他のおかずも多く、どれも手間暇がかかっていそうなものばかりだ。
根菜の煮物は、れんこんの皮も薄く丁寧にむいてあり、芯まで薄く醤油の色が染みている。
みそ汁は白菜と豆腐が底まで詰まっていて具だくさん。
そして、いつものサラダに、
白和えだ。豆腐をつぶして茹でたほうれん草にあえるよりも、揚げ物の数と種類を増やすほうが簡単なはずだ。最近おばあは、「面倒や」とか「しんどいわ」などと口癖のようにつぶやくようになった。ひな祭のメニューも、去年は巻き寿司を酢飯から手づくりしたのに、今年は買ってきたパックの寿司だった。
手間暇をかけることを嫌うようになってきたおばあが、なぜ大量の揚げ物だけでなく、少量多品種の料理を用意したのか。
もしかして目の前の料理は、商店街の総菜屋で買ってきたんじゃないのか。そういえば根菜の煮物や白和えは、あまり食卓に上ったことがない。どれも出来合いの総菜だと考えれば……いや、唐揚げは明らかにカリカリの揚げたてだ。
唐揚げをじっと見ていると、
「白和えはどうや?」
とテーブルの向かい側からおばあの声がした。おばあが味の感想を聞くというのは珍しい。やはり白和えは惣菜ではななく、久しぶりにつくったから出来栄えが気になるのだろうか。
ひと口食べてみる。味付けはうす目で甘味があり、豆腐の淡白な味わいが引き立っている。豆腐はよく潰れていて滑らかな口当たり。白ゴマがたまにぷちぷちと弾け、味と食感のアクセントとして効いている。
「けっこう、うまいよ」
と僕は返事して、さらに一口食べた。
「そうか。ムラジさんらに持っていってやったんや。うまいならよかったわ」
おばあはそういって、唐揚げをかじり満足そうな顔をした。
近所に住む、独り暮らしの友人たちのために、おばあは料理をつくってあげたらしい。一時期、入院するほど体調を崩していたムラジさんは、特によろこんでくれたはず。
唐揚げも大量につくっていたのに違いない。揚げ物ばかりではなく、白和えや根菜の煮物も一緒だと、栄養のバランスもよさそうだ。
おばあの気力が衰えないのは、気の合う友人たちがいるからだと思う。2週間に1回は欠かさず集まって女子会を開いている。元気なおばあを支えている、高齢のご近所さんたちがよろこんでくれたら僕もうれしい。
だけど鶏の唐揚げが少ないのはやっぱり残念だ。そう思いながら、僕は鶏の唐揚げに箸を伸ばした。