僕が夕飯の席につくと、台所からおばあが、すり足でやってきた。両手で大きなアルマイトの鍋を持っている。中身はおでんか鍋ものか。フタを開けると、
殻付きの蒸し牡蠣! 瀬戸内の恵みが、今年もお歳暮で届いたのだ。
早速おばあが蒸したての牡蠣に手を伸ばす。まだかなり熱いらしく、掴んだ牡蠣を素早く別の手に持ちかえながら皿に運ぶ。この瞬間を、今年の冬もおばあは待ち望んでいたのだろう。そこらのスーパーや商店街ではとても手に入らない、名産地岡山から直送の殻付き牡蠣だ。
塩味が効いていて、食感は柔らかく、噛むと濃厚な海の滋味がとろっと広がる。総入れ歯で固いものが苦手。そして塩味が効いた料理が好きなおばあが、嫌いなわけがない。送り主にはさぞ感謝していることだろう。
ところがおばあはありがたがるどころか、何やらぶつぶつ、文句のようなことを口走っている。
「毎年、殻付きの牡蠣なんか送ってきよって。置く場所に困るんや。そんで、早ように食べんと腐ってまうし。もらうもんのこと、考えたこと……」
「殻を開けようにも、なかなか開かん。早よ食べたくても食べられへん」
などといいながらもおばあは、バターナイフを殻のあいだに器用に差し込み、右手のスナップを効かせて軽々とこじ開ける。
貝柱を切り取り、そのまま刃先をツバメ返しのごとく空中にきらめかせて一閃。牡蠣の白い柔肌に突き刺立て、開いた口に素早く運ぶ。
次に手にした牡蠣は、殻ががっちり閉じていて、バターナイフが入らない。
「ちょっと冷めたらすぐこれや。なんでこんな食べにくいもん送ってくるんや」
ぼやきつづけながらおばあは、ためらうことなく唯一の得物を投げ捨て、堅牢な牡蠣に素手で挑みかかる。
金属でも歯が立たなかった牡蠣の殻に、どうやったのか親指をねじ込み、引き裂くように2つに割った。
取り出した中身を、おばあは誇らしげに僕に見せつける。なんと、強固な牡蠣の殻を素手で砕いたのだ。僕が真似すると指先が血だらけになりそうだけど、おばあの親指は擦り傷ひとつ負っていない。
殻が半分くっついたまま、牡蠣を口に持っていく。そして吸い付くように身を口に入れ、貝柱を前歯で噛み切って殻を取り外した。
ふたたび素手で殻を開ける。かなり大きな小判型で、色も白く、ひときわ食欲をそそる牡蠣が現れた。
「なんぼ食べても、なかなか減らん」
おばあは相変わらず愚痴っている。だけど、この日一番、形のいい牡蠣に向けられた両目は見開かれ、うれしそうに輝いている。
メニュー
・蒸し牡蠣(岡山産)
・煮もの
手綱こんにゃく、たけのこ、にんじん
・スズキの焼いたん
・白菜キムチ
・サラダ
生:トマト、キャベツ 茹で:ブロッコリー、アスパラガス、ほうれん草
僕も牡蠣を手に取り、専用のナイフで片っ端から殻を開け、貝柱を切り取り、むき身を口に放り込む。濃厚な味わいなのにくどくなく、いくらでも食べられそうだ。
ゆっくりと味わっている暇はない。牡蠣の鍋をはさんだ向かい側で、おばあが猛烈な勢いで、次から次へと殻を素手でこじ開け、中身を吸い込むように腹におさめている。
ついに鍋は空になり、
半分以上、おばあが中身を平らげた牡蠣の残骸が、死屍累々の山をつくった。おばあは勝ち誇ったようにイスの背もたれに寄りかかり、湯呑をつかんで番茶をすすり、大きく息を吐いた。
すっかり満足しているようだし、さすがにもう文句なんて吐かないだろう。それよりも、おいしかったとか、今年も牡蠣を送ってくれてありがたいとか、牡蠣の送り主への感謝を一言でも口にするつもりはないのだろうか。
「牡蠣、今年もおいしかったな」
僕が同意を求めると、
「こんなにようけ送ってきて、食べ切るんもしんどいわ」
と感謝のかけらもない言葉が返ってきた。テレビを見ているおばあに目をやると、両目は見開かれ、うれしそうに輝いていた。